二代目か?

”浅川・地下壕”

えっせい
浅川地下壕は、中央線・高尾駅南口から
徒歩15分の場所にある.

イ、ロ、ハ各地区に分散して掘られている
地下壕の内、最も初期に掘られたイ地区を
「浅川地下壕保存会」事務局長さんの案内
で見学させて頂いた.
注:ロ、ハ地区は、イ地区完成後に引き続き
  掘られたものの、終戦で中断とか...

■イ地区の概要
 1.場所

   東高尾山稜の山腹
 2.着工
   1944年9月(第二次世界大戦末期)
 3.目的
   陸軍東部軍の地下倉庫として着工.
   途中で、中島飛行機武蔵野工場の
   航空機エンジン工場に変更.
 4.完成
   1945年3月
 5.規模
   高さ:3m 幅:4m 総延長:4.8Km

昼夜3交替の突貫工事により、わずか
6ヶ月で完成とは驚かされるが、その掘削
工事の主体は、徴用された朝鮮人労働者
推定1100人とか.
戦時中とは云え、過酷な工事であったもの
と想像される.

地下工場完成後の1945年6月からエンジン
の生産が開始されたが終戦までの2ケ月間
で10台の生産にとどまった由.

■地下壕内部の様子
入り口は殆んど”民家の門の横!”で、こんな所に総延長4.8Kmの地下壕があるとはとても想像できない場所.
勿論、厳重に施錠されていましたが、入り口付近で遊んでいる子供達の平和な姿とは対照的に、一歩壕内へ入ると
そこからは別世界!.
以前見た日吉の「旧・日本海軍連合艦隊司令部」の地下壕とは雲泥の差で、全部、”巣掘り”のトンネル!.

暫くは頭がつかえる様な高さでトンネルが続き、振り返った入口が真っ暗な中に遠のいていくと不安に駆られます.
ほど無く壕が直角に曲がると、懐中電灯の明るさだけが頼りの漆黒の闇が拡がっていき、”こんな所でトンネルを
掘っていたのか!.
削岩機とダイナマイトによりトンネル工事が進められた様で(岩盤は砂岩と粘板岩だそうで、結構もろい!)、当時の
残痕として「削岩機」による孔と、掘り出した”残さ”を運び出したトロッコの枕木が1本だけ残っていました.

途中にあった東大地震研究所の地震計(ここだけが現代)からさらに奥へ進み、トンネルが赤い鉄格子で塞がれた所
説明板の赤い印しの所)で見学は終了、引き返しました.
全体で約600mぐらい.

それにしても、入口に戻った時はホッとしました.....やっぱり、平和が良い!.


追:・「浅川地下壕の保存をすすめる会」のHP
   「浅川地下壕の保存をすすめる会」が発行されている小冊子はコレ

05.10.8

TOP I BACK