TOP I BACK
11.11.14
 ■ 追悼の言葉に代えて...

   表紙の山は、保科が隊長として挑んだカラコルムの
   ”K7峰
/6934m”、とか.

   ちょっと雲の掛かった山頂から、ゴツゴツした岩稜が
   するどく落ちて、青空にスカイラインを描いている
   いい山じゃないか、保科.

   それに、巻頭の、冬の八ヶ岳で撮られたと云う
   サングラス姿もカッコいいぞ!.


   まえがきで、息子さんが書かれている様に...
     父がどの様な事に挑戦し、どの様な人生を歩んで
     きたのか.色んな父の顔をより多くの人に知って
     もらいたい.そして残していきたい.そんな思いから..
   また、編集をされた親友の諏訪部さんが...
     これほどの人物の歴史を、何かの形で残さなければ
     それは極めて残念な事である...

   保科、Y電機時代とその後の数年しか知らなかったが、
   君が力一杯生きた姿は、この追悼集に余すところ無く、
   実によく現されている.
   今でも、急ぐ時はちょっとどもり気味に、”F井さん!”と
   呼びかけてきた、若き日の、君の姿が瞼の裏に残る.

   安らかに眠って下さい.               合掌

発行:保科 慎平 / 編集:諏訪部 豊
本あれこれ
嶺雲のかなたに/保科正之 追悼・遺稿集
11.10.25 発行
■内容

<アルバム>

子供時代から、高専、Y電機、欧州遠征(会社に迷惑が掛かるからと、退社した上での3ヶ月間)記録、そして翌年
表紙を飾っているカラコルムK7峰への遠征(90日間)記録、高専時代の仲間とのいかにも和気藹々とした
同窓会風景、カヌ−、バイク、パラグライダ−、今回の遭難で一緒に逝かれた杉森様との山行アルバム
と続き、最後にご家族との想い出の写真の数々....

<追悼文>
遭難報告(この本の編者でもある諏訪部さんの遭難の経過、当時の気象にまで及ぶ原因の推定、現地報告.懇切丁寧で山を
熟知された内容には頭が下がる)
、勤務先のK立電機の社長以下役員、同僚、彼の部下など多くの方々の
お別れの言葉、高専時代の友人、Y電機時代の山仲間、保科の属したH山岳会の仲間、ご母堂、ご兄弟、
そしてご家族....大恋愛の末に結ばれた奥様の、”...35年間ずっと一緒だった...”と云う言葉と欧州遠征中の直筆の
手紙に、奥様の保科への想いが込められている気がする.


<遺稿集>
H山岳会時代の登攀記録(彼の性格を現す様な丁寧なスケッチも付いた山行報告)、欧州・カラコルム遠征記録
(編者の諏訪部さんが保科の手帳から写し取られた3ヶ月に渡るノルウェ〜シャモニ−〜パキスタンまでの欧州遠征日記と、
90日間に及ぶK7峰での日記.親友で、山屋で無ければ到底これだけの記録の再現は無理ではなかったかと思う)
追記
君と入社同期のT原やO野と、常念から帰った後に報告がてら三鷹で飲んだよ.
T原は、”今年は行けなかったが、来年は是非登ってみたい”...と云ってた.
それじゃあ、俺と入社同期で君がパネルの職場で一緒だったI田も誘ってくかな.

どうせ奴らは、”山岳部の連中と一緒じゃ、ペースが合わん”と思っている
だろうから、”落ちこぼれ組”だけ連れて、逢いに行くよ.
首尾よく登れたら、その夜は安曇野に見つけた安宿で、豪勢に”君を偲ぶ会”
でもやるつもりだ...