本とはとても言えませんが、200頁余りの自費出版本です.

山仲間との山行を纏めたもので、このHPの”山の日記”の原本です.
表紙の写真は小さくて良く見えませんが、このHPに出てくる”足拍子岳”の
頂上直下を登るT村さんです.
生意気にも”わが山行12年の記録”などと格好を付けて出版しましたが、
今となっては恥ずかしい内容です.
当時の、山の仲間、仕事の仲間を中心に70冊ほど配って読んで頂きました.
今は、これが、唯一残っている1冊です.

 ・本の上に”食玩”の犬が乗っかっていますが、勿論、実物にはありません.

遥かなる山々へ

本あれこれ
(F井)
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.............”遥かなる山々へ”から、抜粋........

◆おもてがき
  −この書を 今は亡き植松と数々の山行で苦労を共にした山の友へ贈る−
◆まえがき
 山を始めてから12年たった.
 高校時代から兄に連れられて山へは行っていたが、本格的に始めたのは
 会社に入り、山岳部に入部してからだった.
 それから12年間、青春時代の全てを山に打ち込んだと、自分では思っている.
 最初の頃は、ただ先輩の後についてがむしゃらに登っていたが、その内初めの頃頂上へ立った
 時の感激も薄れて来て、少しでも難しいルートを通って登る様になった.
 難しいルートや季節に立った頂上は、そのつど違った感激を与えてくれた.
 その結果、夏の尾根歩きから沢登りへ、沢登りから岩登り、夏山から冬山へと次第に山行内容
 が変って来た.
 特に冬山は、同じルートを何回登っても良かった.目をあけていられない吹雪の時もあったし、
 1日中、快晴無風でありながら胸までのラッセルに苦闘した事もあった.
 こういった変化が、冬山の1つの魅力だと思う.
 同じ雪山でも、冬はどちらかと言うと厳しさだけに終止したが、春は底ぬけに明るかった.
 雨からミゾレ、雪と目まぐるしく天候の変る反面、一旦晴れれば真っ青な空と、純白の雪が、
 どの季節にも味わえない山の素晴らしさを見せてくれた.
 僕は、四季の中で春山が一番好きだ.
 12年間で170回余りの山行、通算370日程山へ入ったが、結局僕が山から得たものは、
 山そのものより山での生活を通した仲間との友情だったと思う.
 これは、山行を共にした仲間との想い出の記録である.  
◆山行記録(数字:入山日数 黒字:春・夏・冬山合宿
 ・1963年
      5月・鷹ノ巣山・水根沢
      6月・小金沢連峰縦走(2)
 ・1964年
      5月・大台ケ原(4)
      8月・谷川・天神平(2)
     10月・大岳
     11月・谷川・万太郎山(2)/
大菩薩峠(2)
 ・1965年
      1月・川乗山/武甲山
      2月・六ッ石山/
金峰山(2)
      3月・乾徳山(2)
      4月・谷川岳(2)
      5月・唐松谷(2)
      7月・
南ア・聖岳〜易老岳(5)
     10月・仙ノ倉谷・西ゼン(2)/
三頭山
     11月・鳳凰三山(2)/富士山・雪上訓練(4)
     12月・富士山(2)/
南ア・赤石岳(7)
 ・1966年
      1月・八ヶ岳・黒百合平〜阿弥陀岳(4)/大菩薩峠(2)/谷川・足拍子岳(2)
      2月・三ッ峠・マムシ沢(2)/富士山(2)
      3月・谷川・本峰〜一の倉岳(2)/八ヶ岳・阿弥陀岳南稜(4)
      4月・三ッ峠X2(4)/
谷川・三国峠〜蓬峠縦走(7)
      5月・氷川屏風岩/川乗・火打石谷
      6月・川乗・逆川(2)/八方尾根(3)/西丹沢・ザンザ洞(2)/越沢バットレス
      7月・天祖山/犬麦谷・カロ−谷(2)/越沢バットレス/
南ア・赤石沢原流(5)
      8月・南ア・鋸岳縦走(2)/ツヅラ岩/御岳・大塚山
      9月・越沢バットレス/逆川
     10月・奥多摩・鷹ノ巣沢/三ッ峠/御前山
     11月・八ヶ岳・阿弥陀岳南稜(2)/南ア・聖北尾根偵察(6)/ツヅラ岩
 ・1967年
      1月・丹沢・水無本谷セドノ沢/八ヶ岳・阿弥陀北稜(3)
      2月・六ッ石山
      3月・氷川屏風岩/八ヶ岳・赤岳西壁メインリッジ(2)
      4月・三頭沢(2)/
後立山・鹿島槍〜北葛岳(9)
      6月・三ッ峠(2)/谷川・一の倉沢二ルンゼ(2)/逆川(2)
      7月・谷川南面・オジカ沢(3)/八ヶ岳・硫黄岳〜網笠山(2)/甲斐駒ケ岳(2)
      8月・
穂高・涸沢定着(6)/北岳バットレス・4尾根〜農鳥岳(3)
      9月・越沢バットレス(2)/後立山・唐松岳〜爺岳(4)/ツヅラ岩
     10月・逆川/犬麦谷(2)/御前山
     11月・北岳(3)
     12月・富士山(3)/谷川岳(2)
 ・1968年
      1月・
北岳(5)/北八ヶ岳・天狗岳(2)
      2月・小金沢連峰(2)
      3月・八ヶ岳・阿弥陀岳〜赤岳(3)
      4月・扇山/谷川岳(2)/
後立山・針ノ木峠〜野口五郎岳(9)
      5月・御前山X2(3)
      6月・丹沢・本谷〜勘七(2)/三ッ峠
      7月・仙ノ倉谷(3)
      8月・
剣周辺・鳥帽子岳縦走(10)
      9月・谷川・幽ノ沢V字(3)
     11月・後立山・遠見尾根〜五竜岳(3)/三ッ峠/奥多摩・マコ岩
     12月・富士山/
仙丈〜甲斐駒ヶ岳(5)
 ・1969年
      1月・三ッ峠
      2月・金峰、瑞垣山(3)/八ヶ岳・小同心クラック(3)
      3月・石尾根〜鷹ノ巣山(2)
      4月・
北鎌尾根(6)
      6月・ツヅラ岩X2回
      7月・三ッ峠/石津窪/
南ア・鋸岳〜甲斐駒・黄連谷右俣(6)
      9月・穂高・北穂〜前穂(4)
     10月・南ア・三伏峠(4)
 ・1970年
     11月・六ッ石山/三ッ峠
 ・1971年
      1月・御前山
      3月・御前山
      5月・大岳X2回
      7月・七ッ石山(2)
      8月・
飯豊山(5)/逆川
      9月・八ヶ岳・阿弥陀岳南稜〜赤岳(2)
     10月・鹿島槍(4)
 ・1972年
      1月・鷹ノ巣山〜石尾根(スキ−)
      2月・谷川・白ヶ門(2)
      3月・御前山
      4月・谷川岳(2)
      5月・
谷川・芝倉沢〜白ヶ門(6)
      6月・甲斐駒ケ岳(2)
      7月・両神山(2)/水根沢/
谷川・大源太山〜仙ノ倉東ゼン〜三国峠(5)
      8月・ツヅラ岩
      9月・氷川屏風岩
     10月・谷川・一ノ倉沢コップスラブ
     11月・後立山・爺岳〜五竜岳(3)
     12月・
谷川・仙ノ倉北尾根X2回(5)
 ・1973年
      3月・御前山/鷹ノ巣山
      4月・
後立山・遠見尾根〜五竜岳(5)
      6月・丹沢・水無川本谷(2)
      7月・丹沢・モミソ沢
      8月・水根沢
      9月・氷川屏風岩/三ッ峠/ツヅラ岩
     10月・
穂高・涸沢定着〜西穂高縦走(6)/川乗山
     12月・谷川岳
 ・1974年
      1月・谷川岳/御前山〜御岳
      3月・谷川・西黒沢(2)
      4月・
谷川・大源太山〜芝倉沢(5)
      5月・大塚山
      6月・丹沢・新茅沢/奥多摩・鷹ノ巣沢、氷川屏風岩
      7月・ツヅラ岩
      8月・
剱岳周辺(7)
      9月・氷川屏風岩/ツヅラ岩
     10月・陣場山(2)/穂高・明神東稜〜北穂(5)
     11月・早川尾根(3)
     12月・谷川・足拍子岳(3)
 ・1975年
      1月・御前山
      2月・三ッ峠・コ−モリ沢/谷川・足拍子岳(3)
      3月・三ッ峠
      4月・
白馬岳周辺〜蓮華温泉・スキ−(6)
      5月・ツヅラ岩〜御岳(2)
      6月・氷川屏風岩/丹沢・新茅沢
      7月・谷川・巻機山
      8月・
槍ヶ岳(4)/海沢
◆あとがき
 山を始めた頃から考えると、装備も食料もずいぶん変った.
 山岳部に入った頃は、高校時代使っていたベロ付きの登山靴に綿の薄っぺらいシュラフ.
 5800円で手に入れたピッケル、一度でも濡れると絶対に乾かず、冬山ではまるでヨロイの
 様に凍ってガバガバになるヤッケやオ−バ−ズボン.
 それが今ではどうだろうか.冬山用の2重靴、岩登り用のクレッタ−シュ−ズ.羽毛の
 半シュラフと羽毛服.濡れても凍らないナイロンのヤッケ、オ−バ−ズボン.八本爪のアイゼン
 は12本爪の出っ歯アイゼンとなり、氷壁登攀でもうステップを切る必要も無くなった.
 これだけ軽くて機能的な装備になったのに、自分自身、山行範囲の広がっていないのは、
 どういう訳だろうかと思う.
 12年間山へ行って、一番悲しかったのは谷川岳で植松が遭難した事だった.
 1966年の冬山合宿から4年間一緒に山へ行き、山岳部へ入ったのは僕の後だったにも
 かかわらず、足元にも及ばない程の豊富な経験と技術を持った本当の山男だった.
 山に対しても仲間に対しても一歩下がった謙虚さと、それでいてファイトだけはだれにも
 負けない男だった.植松のたてた食料計画のセンスの良さは、今でも語り草となっている.
 本当に惜しい男だった.あの人なつっこい笑顔は、今でも忘れる事が出来ない.
 谷川岳へ行くたび、必ず彼の名が刻まれた慰霊碑へ寄る事にしている.
 最後に....
 大して力の無かった自分が、これ程山への情熱を持ち続けられたのも、良き先輩や仲間に
 恵まれたおかげだったと思う.
 単独行もいいが、やはり山は気の合った仲間とパ−ティを組んで行くのが一番いい.

 それにしても、最近は”山バカ”が少なくなった.......