"ラン アクロス アメリカ(Run Across America)"という、
文字通り”
走ってアメリカを横断する世界最長マラソンレース”がある.

2002年に開催されたその超人的なマラソンレースに、この所よく
一緒に山へ行っているS島が参加し、完走を果たした.
本人は、全くこのレースの事を話さないので、主催者側のサイトから
S島の写真と記事のあるステージのみをピックアップさせて頂き、その
内容を紹介させて頂く事にした.
なお、全行程を車でサポートされたのは、彼の奥様である.

<レース概要>
 ・スタート   :カリフォルニア州ハンティントンビーチ
 ・フィニッシュ:ニューヨーク州セントラルパーク
 ・距離    :4966.7Km(平均約70Km/日)
 ・期間    :2002年6月15日〜8月24日(71日間/71ステージ)
          ・要は、71日間/毎日70Km休みなしに走るレース.
 ・制限事項 :時速5.6Kmで走る様に設定されており、制限時間
          以内にその日のフィニッシュ地点に到着しない場合は
          棄権と見なされる.
 ・参加人員 :11名(日本人:9名、アメリカ人:1名、スイス人:1名)
 ・完走    :8名
         S島はこの完走した中で4位に入りましたが、余り順位
         には拘らず、”参加した事に意義がある”様です.




<スタート からフィニッシュまでの”S島”部分の抜粋>    ( )内はステージNo.

■6/15( 1) :スタート前に太平洋に足を漬ける参加者.スタート前の記念撮影
■6/18( 4) :第4ステージは、ルート66をひた走り、いよいよ本格的な砂漠地帯に入っていきます。
           道は真っ直ぐですが、アップダウンは絶え間なくあります。スタート時は涼しかったものの、やはり
           最高気温は39℃くらいにまでなりました。西さんとS島さんは、3日連続で一緒にフィニッシュし、
           総合でも2位タイになっています。(注:頭に氷を載せて休むS島

■6/22( 8) :この日のコースは、19マイルの上りのあと、17マイルの下りを含んでいて、Cimaという街の
           小さな店と、郵便局以外には、
まったく人の住んでいる様子のないところを進みます。

■6/23( 9) :スタート直後に干湖を渡り、ラスベガスに入る(注:このステージのフィニッシュ地点に入るS島(左))
■6/26(12) :距離は、これまでで最も長く、80kmを超えました。前半は上り基調で、最高地点は標高約1,500m.
           (注:それにしても、呆れる程、実に真っ直ぐな道路!)
■7/15(31) :最もスペクタクルに溢れたコースというべきでしょうか。すでにスタート地点のWinger Parkでも
           2,800m近いですが、そこからおよそハーフマラソンの距離で、3,500m近いBerthoud Passまで
           一気に上ります。そのあとは、フィニッシュ地点のIdaho Springs(標高約2,300m)へ豪快に下ります。

           Wagenさんが頂上に到達したわずか10分後に、気合十分でこの日にかけていたS島さんが現れました。
           「心臓が破裂しそうだ! もう頂上で死んでも良い!」と思ったくらいの入れ込みようでし
たが、なんとか
           生き延び(?)とても幸せそうでした
7/17(33) :この日は、朝からデンバーのダウンタウンを抜けなくてはならず、街の人や車通りに気を配り、信号で
           止まらされたりしました。
7/20(36) :いよいよ11日間走ったコロラドを抜けて、カンザス州に入りました。これで、6つ目の州になります。
■7/23(39) :このあたりからは、林も目立つようになり、畑や農場の様子にも多少バラエティが増し、気分的にも
           目に
とっても優しい風景になってきたようです。気温もあまり上がらず、走り易い日が続いています。
8/02(49) :レースの8番目の州であるイリノイに入りました。西さんとS島さんは3位タイで入りました。
■8/11(58) :今日は、4,000 km地点を通過して、残り距離は1,000 kmを切りました。
           S島さんは仲間と共に走ることが多く、これまでも貝畑さん、西さんらと、何度も同時フィニッシュを
           し
てきました。大会の合言葉は、「皆で一緒にニューヨークへたどり着こう!」というものであることを、
           再確認するべきかもしれません。もちろん、”大会”あるいは”レース”として開催して、ウルトラ
ラン
           ニングにとってリーズナブルな制限時間を設定することによって、その”質”を保ってはいるのです
が、
           とくに順位やタイムによる賞金がかかっているわけでもないのだし、「大陸横断列車」に乗るファミ
リー
           が、楽しい旅の時間を共有し、皆が気持ち良く過ごして行った先にセントラルパークがあることが、
           
大会としての最高の至福なのだと思われます。
■8/18(65) :昨日まで、疲労と精神的な落ち込みからか、これまでにない遅れが目立っていたS島さんは、今日は
           いつもの元気な姿に戻りました。

■8/20(67) :今日は、S島さんの前歯がぐらついてきてしまいました。そんなこともあって、S島さんは集中できま
           せんでしたが、Willさんの知り合いの歯医者さんに連れていってく
れるということを、本人が走っている
           S島さんに伝えたところ、S島さんは元気になって、なんと西さん
に続いて3位でのフィニッシュになり
           ました。

■8/24(71) :S島さんがフィニッシュしました。武石さんまでの3人は比較的淡々としたフィニッシュでしたが、
           S島さんは感極まってしまい、マネージャーのメアリーさんとがっちりと抱き合い、時間が止まりました。
           その目には涙が浮かんでいました。

二代目か?

”ラン アクロス アメリカ”

えっせい
71日間、5000Kmのアメリカ横断を終えてセントラルパークに
ゴールインしたS島
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