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去年の暮れ、NHKの連ドラ”坂の上の雲”で、日露戦争最大
の山場の一つ、”旅順攻防戦”をやっていたので、数年前に
一度読んだこの本を、また読んだ.
   *NHKの戦闘場面は、実にリアルに出来ていたね〜.
    北海道・サロベツ原野で、史実と同じ季節に撮影されたそうだが...


筆者はノンフィクション作家だけあり、大連〜旅順の戦地を、
同じ季節に歩き、いかにこの戦場が過酷であったかを身を
持って体験されたそうだが、まえがきに...
 
この世界有数の鉄壁の要塞を巡って、日本軍とロシア軍
  がいかに知恵を絞って戦ったか、その主要人物を中心に
  据えて、描いてみた...

とある.そしてそれも、常に前線で指揮を取ったロシア軍の
名将:コンドラチェンコ少将を中心に描いている.

”坂の上の雲”では余り強調されていなかったが、筆者は旅順
攻防戦をロシア側から書く事により、如何に攻撃側の日本軍、
それも同じパターンで攻撃を繰り返し、いたずらに死傷者を
増やすばかりの指揮官:乃木将軍と伊地知参謀長の無能振り
を炙り出したかったのでは無いかと思われる.
旅順要塞の正面攻撃にこだわった挙句、8月、9月、11月の
3回に渡る総攻撃をことごとく撃退され、この旅順攻防戦では
6万人の死傷者(戦死:15400人、負傷者:44000人以上)
を出し、実に、参戦した日本軍13万人の46%が死傷という、
惨たんたる戦いをしている.
コンドラチャンコ少将の言葉を借りて、”余り乃木を叩き過ぎて
大山
(満洲軍総司令官)が出てきたら大変だ!”とも言わせている.
日本側で唯一評価されたのは、一戸少将だけだった様である.
児玉総参謀長が直接の指揮を取って、最終的な目標だった
二百三高地が陥落したのは12月5日だった.

戦いには勝利したものの、余りにも多くの死傷者を出した原因を、筆者は次の様に締め括っている.
 
学習能力の欠如
  単調な戦術の繰り返しと、拙劣な戦略思想しか持たなかった指揮官.
    ・もっとも、指揮官の資質や戦争下手に定評があり、予備役として栃木県那須で農業に従事していた乃木将軍を
     指揮官にした人事にも問題があった、乃木将軍は神官か教育者が適任だったと筆者は評価している.
     だが...「長州閥」の為、この様な人物ながら昇進を続け、最後は師団長の地位から予備役へ.

 
海軍との異常な対抗意識
  旅順攻撃の目的は、旅順港に居るロシア艦隊を撃滅して朝鮮半島への兵力輸送に不可欠な
  制海権を得る事
(その為、旅順港を見下ろせる二百三高地に着弾監視所を置く事)だったが、陸軍の面子で、
  要塞そのものを陥落させる事に拘った.


旅順で無くても...
学習能力の欠如、目的を忘れた内部の対抗意識、閥による不可思議な人事は、現代にも続く、か...
柘植 久慶(PHP文庫)
本あれこれ
旅順
12.1.10