今年は、君が逝ってしまって本当に寂しい夏だった.
・ニ男 聡 30歳
2007.8.15/国際医療センタ−にて死去
君のトレードマークの入ったメールも、もう見る事が
出来なくなった.
・( ̄ー ̄)聡 satoshi520428@ezweb.ne.jp
君は病気の事でひとに同情されるのが嫌いだった
から、このページを作ろうかどうか随分迷った.
しかし君の父親として、少しでも、君の生きてきた
人生と、その想い出を残しておきたかった.
何度となく書き直したが、やっと終わった.
君の可愛がっていたミケ子のページで隠しファイル
にしてあるけど、もしいやなら、きっと何かサインを
くれるだろうね.
君は昭和52年4月28日に我々の二男として、生まれてくれた.
生まれてから原因不明の高熱が続き、近くの大学病院へ入ったが改善せず、
母の奔走で世田谷の国立小児病院へ移った.
そこで病名が分かって、長い闘病生活に入った.
面会に行くと、白くて袖の長い病院着でベッドの柵に掴まり、顔中の笑顔で喜んでいた君の姿が
今でも明瞭に目に浮かぶ.
親から離れての長い病院生活だったけど、君はこの頃の苦しさによく耐え、頑張って育ってくれた.
7歳までしか生きられないと云われていたが、我々はそんな事は全く信じなかった.
小学生だった君の兄も、母が病院、父が会社だったから、学校が終わっても家が留守なので、
”学童クラブ”に預かって貰っていたんだよ.
母はそれまで乗れなかった自転車を練習して、片道1時間、ペタルを漕いで病院へ通った.
外泊が出来る様になり、一時的な退院も可能になった時は本当に嬉しかった.
色々な困難があったけど退院出来、塔の山小学校に入学して、一杯、友達も出来た.
学校から帰ってくると、よくポケットから、拾ってきた虫やどんぐりなんかが出てきたね.
この時のどんぐりが、今では庭の片隅で立派に枝を拡げているよ.
平成2年4月、私立佼成中学に入学し高校へも進学したけど、勉学を続けられなくなって、
平成8年4月、都立山吹高校に編入し、平成10年3月に卒業、同年4月、日大へ進んだ.
通信教育だったが、多くの学友が途中で挫折していく中、君は人一倍の努力で頑張った.
そして車の免許や、漢字/英語検定にも挑戦して、資格も取った.
普通の人と同じ様に、社会人として生活していくのが君の夢だった.
初めて郵便局の暮のアルバイトをした時は心配したが、頑張って給料で好きなバイクも買った.
初任給だからと我々にも....二人とも、本当に嬉しかったよ.
君は入院していても、我々の誕生日には必ずメールをくれたし、外出してくるとお祝いを買いに
遠くまでバイクを飛ばして、母には花、父にはお酒を買って来てくれた.
君が1年前に入院した時は、3ケ月ぐらいで退院出来ると思っていた.
父は1週間に1回、外出時の送迎しかしなかったが、母は病院が移転して遠くなっても、
片道1時間半ペタルを漕いで、一日も欠かさず、雨の日も風の日も面会に通っていた.
今年になって、手術しなくては病状の改善が出来なくなり、7月31日、2週間の予定で新宿の
医療センタ−へ転院した.そして丁度2週間後...
我々は、まさか君が亡くなるとは、考えてもみなかった.
最後の時、君に取り縋って必死に呼びかける我々や、今年結婚したばかりの兄夫婦の声が
届いていただろうか.
天国に旅立った君の顔は、今まで見た事の無い程、本当に安らかだった....
30歳の君には不本意だったろうが、病気の事もあり、我々にとってはまだ子供でいつも身近に
いたから、君がいなくなった事が信じられず、お骨になった君を家に連れて帰っても、呆然として
何をする気にもなれなかった.
しかし母が、君の遺品の中に遺書を見つけた時は、本当に愕いたし、また、嬉しかった.
我々を始めとして、仲の良かった兄夫婦、お世話になった病院の先生や病棟の看護婦さん.
ピアノの先生、親しかった友人、それに可愛がっていたミケ子の名前もあったね.
卒業したら博物館の学芸員として鎧などの武具に囲まれ仕事をし、社会に必要な人になる事が
夢で、いつかそれで表彰され、父母を招いて喜んで貰いたかったと、遺書にあった.
難しい手術と覚悟して、転院する前の晩に書いたんだね.
ありがとう.心の優しい立派な息子を持って本当に幸せだった.
我々の一番大事な宝物として、大事にするからね.
君が亡くなってから、親しかった友人や、お世話になった病院の先生、看護婦さん、それにY田君が
会いに来てくれて、我々も知らなかった君の色々な話が聞けたよ.
家では呑まなかったお酒も随分強かったそうじゃないの.
それに...好きな女性もいた様だし.
今は遠い空の上で、仲良しだったK藤君やI月君の弟、君の後で亡くなったS藤君達と会って、
どんな話をしているだろうか...
我々もいつの日か君と並んで同じお寺に入る事にしているから、その時は一杯、話しを聞かせてね.
それまでは同じお寺に入っている、君を一番可愛がってくれたお祖父さんと一緒だからね.
君は、本当によく頑張った.
君が我々の子供だった事を誇りに思っているし、心から感謝してるよ.
合掌
07.10.18
暑く、寂しい夏が過ぎて...
satoshi520428
’07年4月28日 30歳の誕生日
可愛がっていたミケ子と.