営業の時代
”Y2K”のこと
”Y2K”って、もうお忘れかと思いますが.....
     ■1999年12月31日〜1月1日
にかけて、「計算機の時計処理が狂う」...というヤツ!.

電気、ガス、水道、etcのライフラインから、JRなどの交通機関、
はたまたウワサがウワサを呼び、一般大衆の日々の生活まで
障害が出ると騒がれたものだから、政府主導で対策が進められて
いました.
会社でも、何度と無く対応策のチェックやシュミレーションを繰り
返した上、当日は、社長以下、担当役員が徹夜対応をしていました.

私も一生に多分もう二度と無い事なので、「営業」という立場から、お客様対応が生じた時の
要員として会社のコールセンタ−に詰めていました.
お客様対応があったら、昔取った杵柄で即対応と、意気込んでました.
しかし考えてみれば、”メモリ−節約や時間計算の簡略化”で、期せずして世界中のソフト屋が、
”西暦の4桁を2桁”にしていたんですから、”人の考える事はみな同じ”です.

さすがに、コールセンタ−の時計が、23時59分を指した時には緊張しました.
センタ−では、既に世界で一番早くその時の来る、ニュージーランドと回線を繋いで情報を取って
いましたから、状況は確認出来ているのですが、国内事情は未知数です.
時計が1月1日 00時を過ぎた時点で緊張度は最高潮に達し、今か今かと、全員が電話の列を
睨んでいました.

が、 ... 静か.....  シーン!....
拍子抜け状態で、15分.....

それからが大変でした.
あちこちの電話が鳴りはじめ、最後にはセンタ−長まで参加して、明け方近くまでに通常の10倍の
電話量でした.
しかし、電話は多かったものの、本当に”Y2K”でのトラブルはごく少量で、”Y2Kもどき”が大半を
占めてました.人間の心理で、普通は何でもないことでも、それに結び付けてしまうものなんですね.

電話が一段落したところで、みんなで屋上にあがり「2000年の初日の出」を拝みました.
こんなことでもなければ暮れからの酒浸りで、まず初日の出は拝めない!.

これも、”Y2K”のおかげでした....
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