設計屋の時代
”T村組”のこと
計算機の設計部署で一番長かったのは、この”T村組”.

当時、課長だったT村さんの名前を取ってT村組だったが、
とにかく課長の元で、結束していたというか、しごかれたと
言うか.メンバ−も特徴のある人間が集まっていた.

自分も含め、T村さんの席に出来上がった図面を持って
行って、一度で通ったためしが無い!.
こっちが”ここは少し危ないかな?”と思った箇所を、
的確に突いて来て、まず、2〜3回は書き直し...
それでもめげずにやり直して行くと、最後には、
「F井、ここのコンデンサ−の、容量を決めた時の計算書を
 持って来い!」.

”信頼性演習”の小冊子を買わされ、輪番で勉強会の
講師が回って来ると、鋭い指摘にドキドキしたものである.
”俺は頭が悪いから”が本人の口癖だったが、並み居る
技術メンバ−からは、一番恐れられていた.
とにかく「現場第一主義」で、ここでしごかれた事が身に付いて、その後どんな職場でも基本になった.

みんなでよく遊びに行ったが、一度、奥多摩の鳩ノ巣へバーベキューに行った事がある.
焚火を囲んでワイワイやったが、串に挿した焼肉が金属だったので、誰とは言わないが一人だけ口を火傷して
しばらくは、横一文字に筋が出来ていた(それが X 印だったら、しばらくは仕事も楽だったが....).
みんなで飲むのが好きで、会社の近くの飲み屋には良く連れて行って貰ったが、日頃のウップンを晴らして
大ケンカになったメンバ−が居ても、翌日にはケロッと忘れていた.

代理店の御曹司が、2年間位教育を兼ねて課に派遣されて来ていた時で、今は九州に居るG藤君や四国のI君
なんかとは、その後も仕事で出張して会うと”T村組”の話が出るから、余程、印象が深かったんだろう.

そう言えば、T村組の同窓会をやろうと約束していたが......
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