サービス員の時代
目の前で”シャットダウン!”
川崎の某化学会社のトラブルは、長い間我々の間で決定打が出ず、解決に
時間が掛かっていた.
長くて1ヶ月、短いと1週間で突然システムが停止するのである.
至る所に「わな掛け」をして、トラブル発生時の現象を掴もうとするのだが、
一向にわなに引っ掛ってこない.
客先担当者が、わざわざ社内での検討会議に出席した程だったが、トラブルは
相変わらず続いていた.

その日の夜も、土砂降りの雨の中の緊急コールでその会社に行った.
顔見知りの守衛さんに断って、計器室に近い入口から入り、計算機室のある
2階に器材を運び込んで解析に入る.

現象は、いつもと同じで「なんの前触れも無くシステムがストップ」しており、痕跡は無し.
「またか!」と、同行の仲間と2人、停止時のデータを取って、システムの再立ち上げに入る.
システムはすぐ立ち上がったが、待機していたオペレータはそれからが大変.
数十本の温度指示を見ながら、反応パイプの温度カーブ全体が階段状になるまで、徐々に調整して行かないと
製品が出て来ない.
2時間近く掛かって、ようやく所定のカーブになり、それまで一緒に見ていた我々も、ホッとして器材の片付けに
入ろうとした瞬間、「プシュ−」と、遠くの方で音がしたかと思うと、目の前で、さっきまで階段状をしていた
温度指示が一瞬の内に全て0まで落ち、計器室のあちこちでシャットダウンを知らせるアラームが鳴り響いた.

目の前で、プラントがシャットダウンしたのを見たのは、初めてだった.

すぐ2階の計算機室へ階段を2段飛びで駆け上り、計算機のプログラマーズパネルを開くと、赤い電源アラーム
が点灯している.焦ってテスタ−を取り出し、電源キュービクルの各電源を確認すると、周辺回路の電圧が 0V.
電源ラインを調べていくと、一番端っこのブスバ−に付いているノイズ吸収用タンタルコンデンサ−が、ショート
しているのが判明!...全ての原因は、たった1個のコンデンサ−だった.

<後日談>
このコンデンサ−は間欠モードでショート事故を起していた.
この日、やっと”完全にショートした”ので、原因が分かった様なものであった.
誰もが考えられなかったタンタルコンデンサ−の間欠故障.その後、トラブルは2度と出なくなり、
時々電話が来る、担当のS藤係長と喜びあったものである.
■このS藤係長には随分お世話になった.
 トラブルが長期化している中、S藤係長が部下を連れて会社を訪問され、”トラブル解析会議”を開いた時の事.
 事もあろうにその会議中、”システムがダウンした!”との緊急電話が.
 会議は当然中止、急遽、仲間の運転するサービスカ−に同乗頂き、川崎の工場へ走ったのですが...
 その頃、子供の具合が悪く入院中で、家内はベッドのそばの長椅子に24Hの付き添いで寝起きしていたのです.
 病室を離れられないので、病院近くで弁当を買って届けていたのですが、今日は急な出張で連絡も出来ないし届けられない.
 思い余って首都高速に乗る前、S藤係長に事情をお話しすると...
 ”F井さん、どうせ止まってるんだから構わないよ.どうぞ届けてあげて下さい”.

 現場はシャットダウンで大騒ぎしているはずなのに...本当にありがたい方でした...


ここには、川崎のサービスセンタ−に移ってからもよく伺った.
計装の担当部長になられていたが、トラブルの報告でサービス員と行っても、並みいる部下から
あれこれ追求される中...
”F井さんとは長い付き合い.F井さんがこれだといったら間違い無いんだよ!.
了解.ごくろうさんでした”.

つくづく...信頼関係が、いかに大切かを教えて頂いた方でした.
TOP I BACK