サービスセンターの時代
プロローグ
川崎にある、当時国内最大のサービスセンタ−に、センタ−長として赴任した
のは7月でした.赴任早々から、とにかく毎日が戦場でした.

約80人近くの若者の集まる所帯で、朝礼が終ると全員飛び出して行き、
客先都合に合わせているので、夕方を過ぎても帰って来ません.
点検だ、修理だ、打合せだと、京浜コンビナートを中心に動いているので
出先は比較的近いのですが、他サービスセンタ−への応援作業も多く、
機種別に、4つに分けた各グループ長は、人繰りが大変です.
グループ長は、毎日、最後の一人が帰るまで待っているので、それを置いて先に帰る訳にも行きません.

職掌は、センタ−全体の運営、指導、管理を行う責任者となっていましたが、とどのつまり「雑務一般・諸問題
請負い・何でも言ってくれ」が仕事でした.また、何にも増して重要なのは、お客様とのコミニケーションの維持
で、幸いにしてこの地域は、昔、サービス員時代に走り回った客先が多く、土地勘もあり、お客様の担当者の
顔も知っていたのが幸いでした.正月の挨拶回りでは、アポイントも取らず、サービス営業のK沢部長と共に、
片っ端から、飛び込みでご挨拶に廻ったものです.

担当テリトり−には、沖縄が含まれていました.
3ヶ月に一度、片道3時間飛行機に乗って通ったのですが、一度、台風の時に大揺れに揺れてからは、
すっかり”飛行機恐怖症!”になっちまいました..

赴任してから2年半、やっと全員の気心も知り、サービス代理店の責任者とも冗談を言える間柄となり、
担当地域のお客様の特質も知った頃、本社へ呼び戻されたのは残念でした.
「さあ、これからだ!」と思っていた矢先だったので、正直、がっかりした事を覚えています.

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新装なったセンタ−
■ン十年ぶりのセンタ−を見に行った.....10.4.16
同期の仲間達と、「多摩川・源流から河口まで歩く」の最終日.
懐かしいセンタ−が3月に新装なったとの話を聞いていたので、
浮島からの帰り、仲間達と分かれて見に行った.
ン十年振りのセンタ−は....
おっ!、見違えるほどキレイになったじゃ、ないの!、これは.
みんな仕事中だから声も掛けず、建物を1周した後、昔と
変わらないバス停から、仲間の待つ川崎駅での打上げ会へ.

良かったねぇ〜.
これでもぅ、”タイルのハガレ”にけつまずく心配も無いだろ〜ね?.