サービス員の時代
プロローグ
実質的にサービス員として過ごしたのは、6年間でした.

6年後、サービスのバックアップをする部署に異動したためですが、
ここでの6年間は、あり過ぎるほどの変化と共に、苦楽を共にした
仲間との、強い絆が生まれた時代でもありました.
この頃の仲間との定期的な飲み会は、今も続いています.

計算機のサービスが本格的に始まる前でしたから、お客様との関係も
ユーザ/メーカ−の立場を離れた一種の連帯感があり、トラブル対応
の時などは、お互いに協力して一刻も速くシステムを立ち上げ様と、
必死でした.
今でも、この頃のお客様との親交がある位ですから、一言で”古き良き時代”と言ってしまう事の出来ない、
「同志」的な関係があったと思います.
某社で、世界的に有名なメーカの、管理用計算機との間で通信関係のトラブルが続いた時、検討会議の
席上でお客様の担当者が、出席していた管理用計算機のサービス責任者に食って掛かかり、慌てて
止めた事があります.このお客様とは、夜遅くまで一緒に解析し、”世界的”な方まで分析して連絡して
いたのに、なしのつぶてだったからです.幸い、トラブル自体はしばらくして自然に出なくなりましたが..

工場の制御用計算機ですから部分的/全体的に2重化されているとは言え、”形ある物はいつかは
壊れる”のことわざ通り、トラブルはつき物です.
システムが停止すると手動運転になり、
     ・沖にタンカ−が並んで積み込み待ち.
     ・タンクローりが一般道路にまで溢れて順番待ち.
     ・オペレータの方が通常の2倍位に増員されて制御パネルに張り付き.
     ・etc
に、なってしまいます.

納入してお客様の物になったとは言え、我々の方も、”ウチの子供を、何とか早く立ち上げて元気に
働かせたい”という気持が、強く働いたものでした.
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