設計屋の時代
プロローグ
計算機システムの開発、設計と言っても、全体のまとめ役が居て、部分々を
担当するグループがいて、その中にはハード/ソフト屋がいてと、多岐に
わたります.みんなで、寄ってたかって開発するのです.

私は、そのハードの一部分を担当していましたが、まだ国内に工場の制御用
計算機が普及していなかった時代でしたから、技術部に居た10年間の後半は
私だけでなく、みんな「何でも屋」でした.大まかに書くと......
  ・ロジックの設計   ・プリント板化    ・配線図   ・製造部との対応
  ・システムチェック  ・客先納入、調整  ・現地講習   ・サービス
  ・説明会
色々やらせて貰ったおかげで、製造や営業と顔見知りになり、仕事がやり易くなりました.

私が担当した機種は、多分当時を知る人だと分りますが、年代順に「略」して書くと.....
  ・C2 ・C3 ・C70 ・C8 ・Y5 ・Y6 ・Y1 ・Y10 ・YS 
この内、Y5、Y6 が一番思い入れのある機種でした.なぜなら、部分担当だけでなく、急激に納入量が増して
人が不足し、現地調整からお客様へのトレーニングまで含めて担当したからです.
■配線図
この2機種は、プリント板相互の結線が全てワイヤ−ラッピングでした.ピストルの様な形をしたワイヤ−
ラッパ−の先に細い配線材を付け、1本々配線していくのです.その配線図をこれまた製造向けに実体図で
描かなくてはなりません.
設計ミスすると、製造では「巻き戻し器」でワイヤ−を外さなくてはならないので、ミスがあったりすると
書直した配線図を持って、平身低頭で製造へ行きました.
■温度試験
当時は、システム全体を大きなビニールの「蚊帳」に入れ、テストプログラムをまわしながら温度試験をして
いました.温風器と扇風機を蚊帳の中に入れて、40度近くまで温度を上げシステム全体の機能をチェック
します.これが暑くて暑くて、真冬でも半袖のシャツ1枚でした.

しかし、この段階が過ぎるとシステムが完成するので、担当SEが音頭を取って関係者だけで「打上げ会」
が開かれ、これがまた楽しみの一つでした.
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