およそ計算機のサービス員で、製造部のお世話にならなかった者はいない.

トラブルで交換用の「プリント板が要る!、プリンタが要る!、etc」、それが
新しい製品でサービス用の代替品が無いと、製造部から一時的に借りるしか
手は無い.そんな時、休日や夜間を問わず親身になって対応して頂いたのが、
K田係長.

サービスの苦労を良く知って頂いていた事もあるが、止む無く夜中に自宅へ
電話すると、
    「それじゃあ行くから、11時頃に会社の門の所で待っててくれ」
サービス車に修理の器材を積んで、指定された門で待つと、自分の車を飛ばして来て、
真っ暗な製造フロア−へ一緒に上がり、製造中の計算機から、必要な代替品を取り出して頂いた.
我々はそのままお客様へ出発するが、K田係長は後に残って員数あわせをしなくてはならない.
明日、立会いだけど何とかするから持っていけ!と、後で自分が苦労するのも構わず......
本当に、我々サービス員がどれだけ頼りにし、感謝した事か!.
自分が所用で来られない時は、
       「 XX JOBから取って行っていいよ...」.
同じフロア−だった時代もあり、我々も、製造部とは良く行き来していたから、「製造中のXXJOB」と
言われれば、すぐ見当が付いた.

K田係長を始め、当時、製造部の方たちは製造し出荷する計算機の1台、1台を、まるで自分の子供を
世に出す様に大事にし、それがお客様の所でなにかトラブルでも起すと、自分たちの責任の様に感じて
おられた.それだけに、そのサービス対応をする我々の事を、大事に思って頂いていた様な気がする.

K田係長を代表として、サービス、製造は一体で、気持ちの上でも常にお客様の方を向いていた.

<余談>
製造部には、いわゆる”職人かたぎ”の方が、一杯居られた.
真冬でも、半袖シャツ一枚だったY矢さん.
理由を聞くと.....
      「それはね、F井君.寒いと思うのは、体の温度と外気の温度差なのだよ.
       温度差が無ければ、寒いと感じないのだよ!」
独特の論法で、なんだか納得させられた......

サービス員の時代
製造部の”神様達”
TOP I BACK