......ここから.........付録:システムの変遷


2.3 計算機サービス

   横河電機として初めてのシステム製品は、‘60年に発表したCOSTALOGという
  データロガ−だったが、その後、‘63年に世界初のプラント最適化制御(SPC)を目的
  としたCCS2000を発表し、計算機でプラントの制御を行う時代に入った。この製品から
  横河電機の計算機サービス(以下、計算機SV)が始まる。


2.3.2.1 CCSシリーズのサービス
   
CCSシリーズは、HARDは全て他社メーカの中央処理装置(CPU)に横河電機が開
  発した周辺機器(I/O)を接続したシステムだった。プラントからのアナログ/ステータ
  ス信号は、I/Oでディジタルデータに変換され、CPUからの指令で取り込まれて処理、
  制御される構成であった。客先からみればシステム全体が横河電機納入であり、当然の事な
  がらサービス要求はCPU・I/Oに係わらず計算機SVに行われたが、CPUについては
  各メーカに依存せざるを得ず、CPUかI/Oかの切り分けまでは行ったものの、CPUと
  なれば各メーカのサービス網に連絡して、現地の計算機SVはそれに立ち会う事でサービス
  対応を行った。
   システム開発当初から暫らくは、納入台数の少ないこともあり、納入から現地調整、サー
  ビスに至るまで開発・製造部門に依存し、不具合時においても支援を貰いながらの手探り状
  態で推移したがCCS7020辺りからは徐々にレベルアップして対応出来る様になった。
   しかしながら、現地の計算機SVは、その地域に納入されているシステムが少ないため、ス
  キルアップが進まず、単独で解決出来るほどのレベルには達していない事もあって、殆んど
  が東京本社のサービスヘッドコータ(以下、SVHQ)からの電話支援、または現地出張で
  サービスが行われていた。

    CPUが、当時、兄弟会社であったHP社のYEWHP1000、YEWCOM7000
  〜になると、CPUも計算機SVでの独自サービスが要求される様になったが、メーカのハ
  ード改廃やRev/Ver UPに追従せざるを得ないSVHQは、苦労の連続でもあった。

2.3.2.2 YODICシリーズのサービス
    1965年、CPUを部分2重化してシステムの信頼性・稼働率を上げ、プラントを計算
  機で直接制御するYODIC500が発売されて、横河電機の主要客先だった国内の石油、
  化学会社などへ、順次、納入が始まった.システム全体が初めて横河電機製で、CPU、メ
  モリ(コアメモリ)制御部とも独自の2重化方式を取り入れた上、半導体素子はIC(DT
  L)を採用した高信頼性が売り物の制御用計算システムであった。またその5年後には、C
  PU全体を完全2重化したYODIC600が発売された。

    プラントを直接制御する計算機システムともなると、システムダウンした時、工場の操業
  が停止するため、一層の緊急性が要求される様になった。緊急コールで呼び出されると、遠
  くからでも異常事態が分かる。石油プラントでは、フレア−スタックの炎が不規則に上がっ
  ていたり、陸上出荷では一般道路までタンクローリがはみ出して並び、海上出荷に於いては
  タンカ−が沖に積み込み待ちで停泊していたりする。

    YODIC500や600の場合はCPUが2重化されているので、CPUの片側がダウ
  ンしてもシステム全体のダウンは免れるが、客先の心情は“もう一方がダウンしたら?”と
  なり、2重化の片側がダウンしても、サービスへの緊急出動要請は高い。夏の梅雨や秋の長
  雨の季節には、絶縁劣化などで突発性の不具合(トランジェントフェール)が発生し、自然
  復帰してしまうので不具合の特定はさらに難しくなる。不具合原因が明確でないまま運転に
  入る訳にはいかないので、なんとか現象を再現させる努力を行った。電源電圧を±10%
  変動させての電圧マージンテストや、市販の電動式肩揉器、ヘヤードライヤ−を使った震動、
  温度テストなどのストレスで“虫だし”をし、なんとか現象を再現させる努力をしたが余り
   強すぎて、客先から「横河さん、大丈夫ですか?」と心配させる事も....

    YODIC500では、比較的簡単に当時のサービスエンジニアは頭に入っていた機械語
  で、システムプログラムにチェック用のプログラムを追加し、“ワナを掛ける”様な事も現
  場で行った。プラント制御用計算機の特質として、「どうも、コントロールがうまく行かな
  い」といった緊急コールもあり客先のオペレータに、現象を根掘り葉掘り聞きだしつつ、シ
  ステムのハード/ソフト/エンジニアリング面からの切り分けも必要だった。
   当然の事ながら工場は24時間/365日操業で、工場が停止するのは、夏のお盆の頃、客
  先が工場全体の定期修理(定修)に入る約1ヶ月. この時期に合わせ計算機システムも定
  期点検に入るが、通常の定期点検作業のみならず、それまでペンディングになっていた不具
  合の修復やRev.UP作業も同時に行うので、計算機SVとしては超多忙な時期、コンビ
  ナート地区では、同時に複数の会社が停止するのでますます多忙な時期だった。定期点検作
  業の主な目的は、システム内部に溜まった塵埃の除去で、これが終わると作業全体の約5
  0%が終了する.計算機システムの天井に付いている冷却ファンが室内の塵埃を吸い込むた
  めで、ほぼ全てのプリント板を抜き出し、専用ブラシで丁寧に塵埃を払い落としながら掃除
  機で清掃する。これが終わると元通り組み上げて電源を入れ、機能検査、アナログ入出力の
  精度検査などを行いセーブしておいたシステムプログラムをローディング(YODIC50
  0/600の場合は紙テープ)してシステムを復元するが、作業が終了してもその後客先立
  会いがあり、工場が運転に入ってシステムが正常に動作しているのが確認できるまで、計算
  機室等で待機した。

    YODIC500/600はIC化されたとは言え、素子の集積度もDTL/TTLレベル
  で、プリント板相互はバックボード裏でワイヤーラッピングされていたが、回路変更が生
  じるとワイヤ−ラッパ−を使って現場で配線変更も行ったし、YODIC500の場合は不
  具合プリント板内のICを現場で交換していたが、集積度の上がったYODIC600辺り
  から、やっとプリント板単位での交換となった。

    これら機種の全盛時代は、不具合に対する客先の関心も高く、不具合時には、開発/製造
  /品質管理等の部門の担当者も参加した検討会議が開催され、原因を素子レベルまで解析し
  てサービスレポートに纏めていたが、その結果、サービスエンジニアのレポーティングテク
  ニックや技術レベルも高まっていった様に思う。また、緊急コール時の現地出張では、必ず
  サービスエンジニアの先輩と後輩がペアで出張していたので、サービスノウハウの伝承を含
  め、エンジニアのスキルも上がっていった。

    一方、横河電機のSV部門は、それまで工計/計測のサービスが主体で、計算機専業メー
  カの様な人・モノ・体制(特に、緊急コール体制)が出来ておらず、サービスに対する考え
  方もそれらの製品サービスの域を脱していないため、ひとえに東京本社の10名足らずのS
  VHQ(当時はチーム構成)と、支店サービスの一部のSVエンジニアが負う事となる。
  ‘73年〜’83年にかけてはYODICシリーズのみならず、CENTUMが発売され、
  システムの納入量は飛躍的に伸びていったが、サービス体制は相変わらず改善されず、特に
  夏場の定期点検の多忙期での緊急コールは、作業中のサービスエンジニアを現場から外して
  コール客先へ行かせる様な、綱渡りの状態を繰り返した。SVHQのチーム長を始め体調不
  良者が続いたが、この時期でもなんとか対応出来たのは緊急性の高い制御用計算機のサービ
  スを預かっているというサービスエンジニアの義務感、責任感と共に支店のサービスエンジ
  ニアを含め、“計算機サービス一家”とも言うべき連帯感だったと思う。SVHQのメンバ
  −は、緊急コールに備えて枕元に電話機を置いて寝たり、出張先で不具合を修復しながら他
  のメンバ−のサポートを行ったりの相互支援で、サービス体制を維持していた。

    計算機のサービス体制(特に、緊急コール体制)が、やっとシステマチックな対応が出来る
  様になったのは、横河電機が北辰電機と合併し、サービスとして独立した‘83年4月以降
  であり、CCS2000の発売から、20年経っていた。


2.3.2.3 CENTUMシリーズのサービス
    1975年、CENTUMが発売され、国内のみならず海外に於いても計算機で工場を制
  御するのは当り前の時代に入った。
   YODICの時代は、1台のCPUでの集中制御であったが、CENTUMシリーズはプラ
  ント毎に置かれた制御システム(ステーション)をF−BUSで繋ぎ、中央監視室で集中監
  視する高分散制御システムになった。それぞれ独立したシステムが工場全体に分散している
  ため、大規模な工場ではサービス車が工場中を走り回る事になる...

    CENTUMのCPUはYODIC100/1000を基盤に構成されていたが、計算機
  で工場を制御するという客先の計算機アレルギ−(?)を考慮してか、販売方針は“CEN
  TUMは計算機と言わない”だったから、不具合修復後の報告会などでは、客先の担当者か
  ら「計算機と言っちゃあいけないの?」と疑問を投げ掛けられる場面もあった。
   横河の基幹機種として華々しくデビュ−したCENTUMではあったが、それまでのシステ
  ムと同じ様に開発部門からのサービスマニュアルは提供されず、特に画期的なメンテナンス
  機能もなかった。
    システム停止状態での“OFFLINE・テストプログラム”さえ、製造部が使っている
  機能検査用のテストプログラムを転用して使う有様だった。
  ‘88年発売のCENTUM XL 開発時には、SVHQから約1年に渡りシステム内への
  メンテナンス機能装備の為、開発部門へサービスエンジニアを3人投入したが、結局、開発
  納期・メモリ領域確保が出来ない等の理由で不発に終わった。ただ、XLのOSが持ってい
  たリモートメンテナンス機能を使い、遠隔監視が実現出来たのは唯一の進歩だったと言える。

    八王子にあるHP社の素晴らしいコールセンタ−を見学した事があるが、案内してくれた説
  明員から、「当社では、製品が出るときには製品の品質のみならず、サービスマニュアル、
  ツール、サービス員教育、サービス備蓄が出来ていないと、製品出荷の許可が下りないので
  す」と云われたのを思い出す。専業メーカとは言え、横河電機の計算機のサービスとは較べ
  ようの無いほど進歩した体制、考え方だった事を記憶している。


 今ではコールセンタ−も出来、緊急用備蓄品も完備して、サービスエンジニアの自宅の電話番
号が客先のオペレータ室に貼られていた、ある意味“誇らしい出来事”もなくなったのでは無い
かと思われるが、いつまでも変らないのは、お客様担当者とサービスエンジニアの、サービスを
通して築き上げられた個人的な“絆”ではないかと思う。

 プラント制御用計算機の場合、制御対象のプラントが余り変らないので、10年〜20年に渡
りシステムを使い続ける事が多い。製品の性能は勿論の事、“サービスも良いから、次の製品も
横河電機の物を”と、お客様に言わせる様なサービスであって欲しいもので
ある。



■この書を一緒に苦労した、”計算機サービス一家”へ送る...
  
この文書は、(株)横河電機製作所時代から、永らくサービス部門を統括してこられた松村忠幸様/当時のサービス部長
  が、2013年12月横河電機のサービスの歴史を纏められた時、依頼されて「計算機のサービス」部分を纏めた物.
  最終的な刊行物:”サービス”ビジネス化への道のり/(株)横河電機製作所サービス小史
/2015年
−忘れ得ぬ方々−

川鉄・千葉/H間さん  JOB名:KFBF、KEBF
 鉄屋の「掛長」と云えば無く子も黙る現場の親分.部長級...に
 なられたと聞く.
 
右のエンブレムは、長年通った第6高炉が20年で改修(世界一の
 ロングラン記録)され、システムも横河の最新システムにリプレース
 された時、「F井さん、外の人には云わないで」とコッソリ渡された.
 関係者だけが持つ記念の盾.コールであれ定期点検であれ、現場の
 計器室に着くと「F井さん、赤弁いくつ?」と、常に食事の心配をして
 下さった. 
・HPページ:鉄は男の仕事、運動会に緊急コール.

丸善(コスモ)石油・千葉/O本さん JOB名:GO、MOC
 システム故障でタンカ−が沖待ちし、船主が計器室に怒鳴り込んで来ても悠然と我々SVE
 との間に立って壁になって頂いていた.オペレータを部下の様に押え(昔の計装の方は大体
 この様)、修理作業に外乱なく専念出来た. 
・HPページ:夜明けのコ−ヒ−.

日本石油・浮島/S藤さん JOB名:NP−BTX、NPY
 BTX建設時の担当者で、後に高ポリも担当され色々お世話になった.
 
・HPページ:目の前でシャットダウン.

東京ガス・千葉/O和久さん JOB名:TG
 浜松町の本社から新宿のガスビルに移られた後も、自宅が新宿に近い事もあり、利害関係
 無く時々飲み屋でお会いして一杯/F井が好きなションベン横丁で飲んだ事も!.
 
・HPページ:”営業らしくない営業”のこと.

東燃・和歌山/N村さん JOB名:OGU、BTX、ILP
 和歌山工場に、YODIC−500が3セット入った時、新入社員として入って担当者から紹介
 された頃からのお付き合い.巡り巡ってそのN村さんが、横河の営業技術へ中途入社され、
 また昔の付き合いが.... 
・HPページ:和歌山の”三羽ガラス”.

東電・横須賀/O橋さん
 川崎C長の頃の”忘れ得ぬ方”.ご機嫌伺いに行くと、いつも自席には居らず事業所1階の
 喫茶室.ゴルフの話をして帰るのが当時のC長の役目.
 関連会社へ異動後、退社されたと聞くが...

 

 
本SV小史は60部印刷され、YSV現役の主要部長の外、
YHQ:登山、杉田元役員 YSV:全役員、OB会出席者に
配布された.
又、杉田元役員により「横河電機歴史本リスト」登録.
SV小史・完成記念慰労会/於:立川 15.8.30
松村
黒澤
藤井
宇野
道塚