サービス員の時代
”緊急コール”の今昔
今でこそ、百人近い規模を持つ立派な”コールセンタ−”が稼動しており、
計算機以外のコールも、24時間/365日受け付けて、エスカレーション体制
も完備されているが、当初は個人営業で、お客様からの緊急コールは、全て
”自宅”の時代が長かった.

それだけに、お客様とのつながりが深く、融通も聞いて頂けた.

お互いに”何とかして、早く直そうね−”という意識が働いて、現地へ出張する
までの間、”あれをやっておいて下さい、これをやっておいて下さい”と頼んでも
まず断わられる方も居ないし、自主的にご自分でトラブルシューティングを進められ、
着いた時に「○○さん(会社の名前)、ここまでやって見たけど...」と逆にすまなそうな顔をされた事もある.

システムが停止した様な場合は別として、点検の”ついでに”伺ったお客様から「○○さん、この前
こんな事があってね」と、あっと驚く様なトラブルの報告をされ「そんな事なら、電話して頂ければ
いいのに〜」と、会話した時もあった.

納入量が日増しに増えて、地方のサービス員で手に負えないトラブルや、定期点検、巡回点検などが
増加してくると、必然的に緊急コールの対応人員が足りなくなって、人繰りの苦労が始まる.
朝出勤すると「昨日は寝てなくてね〜」と、眠そうな顔をした係長の頭に白髪が目立ち、コール窓口の
責任者が心因性の心臓を患い、次の責任者がノイローゼになって会社を休む様になっても、なかなか人員の
補充がされず、相変わらず電話応対に追いまくられて「出張していた方が楽」の時代が来ていた.
(次は俺ですかね?と冗談交じりに言って”F井さんは大丈夫だよ”と、係長に変な太鼓判を押されたのもこの頃)
しかし、仲間同士は冗談を言い合いながらも元気だったのはなぜだったんだろう?.

メーカーだから、製品の”開発、製造、販売、サービス”の4本柱が重要と言いながら、サービス部門は
何時までもメジャ−では無かったし、我々がいくら頑張っても、社内での評価は低かった.
一線の営業マンとは、一心同体でお互いに名前で呼び合う程親しくしていたが、それは、
「サービスと上手くやっていかないと、次の注文に繋がらない」事実もあっただろうが、お互いに苦労を
知っていたからではないかと思う.
なんと言っても「お客様の担当者+営業マン+サービス員」は一体だったから....

程なく会社が合併して新サービス専門会社が出来、人数は少ないと言えど24時間/365日、
”起きて電話応対”する人員が確保され、それが次第に拡大していって、現在に至っている.

昔の苦労を知る人は少なくなっているが、サービスのみならず「現場重視」の原点だけは、いつまでも
維持して行って欲しいものだと思う.
設計屋時代”T村組”で体に叩き込まれた、”現場を見ない内に話をするな!.現場最優先!”の教えは
今も昔もメーカ−の原点ではないだろうか.....
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