「F井さん、小同心クラック登りに行かないか?」と
U松に誘われたのは、冬山合宿が終って暫くした、
ある日の事だった.スキ−を持って行くと言うの
で不安でもあったが、行く事にした.

■3月1日(晴)美濃戸口〜赤岳鉱泉〜中山峠
前夜は例によって最終バスで入山、美濃戸口に
ツエルトを張った.K木達、H稜パーティも同じ所
に行くとかで、一緒に泊まる.

小同心クラック

山の日記
3月にU松と行った、彼との「最後の」
登攀記録です.
夜が白々と明け始めた頃、我々はスキ−を履き途中で付けると面倒だからシールも付けて林道を滑り
始めた.これが最大の敗因だった.
川を渡るところで薄い氷を踏み破りシールが水に浸かると、前にも後ろにもシールが効き始め、その上に
雪が付いて下駄を履いたようになり、数十歩歩くと息をつかなければならなくなった.我々のズーッと後から
出発したK木達のパーティに軽く追い越される.それでも、ヨタヨタと美濃戸まで行き、スキ−を諦めて肩に
担ぐと非常に楽になった!(何の為にスキーを履いたのか?).赤岳山荘まで歩き大同心や小同心など
横岳が正面に見える、中山峠の少し手前の小同心稜の取り付き付近に雪洞を掘る.
縦穴を掘ってから、二人が充分横になれる程、横穴を広げて、縦穴はツエルトで塞ぐ.
これで、またしごかれ、赤岳西壁へ行く予定を阿弥陀岳の往復に変更.
夜は、雪洞の壁にローソクを立て、U松のセンスの良い献立「若鶏のモモ焼き/スープ付き」に満足して寝た.

■3月2日(快晴、地吹雪)中山峠〜小同心クラック〜横岳〜中山峠〜美濃戸口〜帰京
登攀の準備をして雪洞を出ると、満天の星だった.
既にトレースのある小同心への道を歩き始める.小同心稜を右から回り込み、小同心ルンゼに下りて、ルンゼ
を3ピッチ登ると、
小同心クラックの取り付き点はすぐ左手にあった.アンザイレンし、U松がTOPで登攀開始.
取り付きから左にトラバースし、ルート名の通り、外開きしたチムニ−状のクラックに入る.ベルグラの一杯
付着したスタンスにアイゼンがいやな音をたてる.40m一杯でU松からのコールがあり、ビレーしていたピッケル
を抜いていると、K木達が上がって来た.全てのホールドにはベルグラが張り付いているので安心出来ない上、
クラックの中は垂直に近くアイゼンが嫌な音をたてて滑る.だましだまし、U松の居るテラスに這い上がった.
ここで先行パーティが上部に抜けるのを待つ.ここは岩から飛び出した丸いリッジ状の不安定なテラス.
風が強く、体が冷え切った頃にやっと先行パーティが視界から消え、U松が動き出す.
右側のチムニ−に入り込み、姿が見えなくなってザイルだけが伸びて行く.やがて頭上に、チムニ−を抜けて
上のリッジに出たU松が見え、さかんにエビのシッポを落としながらリッジを越えて行った.合図があって後に
続く.ここは悪く、チムニ−から細いリッジに移る所は左に振られる様でバランスに苦労した.やっと、通過し
丸い岩にザイルを巻いてジッフェルしているU松の所に着く.「おまえ、あそこ良く登れたなぁ」と言うと、「落
ちるかと思いましたよ!」と、白い歯を見せて笑っている.
そこから10m程、ザイル無しで登ると、地吹雪の小同心の頭に出た.
ここからはコンテニアスで、50m程、リッジを辿り、再びがっちり確保して、40m一杯で横岳頂上に出られた.
最後のピッチは草付きが凍っており、アイゼンと、草付きに打ち込んだピッケルだけが頼りの登攀だった.
頂上は凄い吹雪で、完登の喜びもそこそこに穴を掘って風を避けた.

頂上からは、ザイテングラード経由、雪洞に戻り、小休止して「待望」のスキ−で下山.
往きの苦労がウソの様に、美濃戸からのバス道を奇声を発しながら滑降.美濃戸口から八ヶ岳農場までも、
バス道の横を強引に滑ったおかげで、美濃戸−八ヶ岳農場が45分しか掛からなかった.
バス停でK木達と会い、一緒に帰京した.

U松とは、これが二人で行った最後の登攀になった.
翌年の三月、U松は谷川岳一の倉沢南稜で遭難し、もう二度とあの人なっっこい笑顔を見る事が、出来なく
なってしまった.自分にとっては、一生忘れる事の出来ない、悲しい想い出である.

登攀終了点、横岳の頂上
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