聖岳・北尾根...その後

注:聖岳は顕著な双耳峰を持っており、前聖岳(3013m)、奥聖岳(2978m)からなっている. 聖岳・北尾根とは、正確には奥聖岳・北尾根.

まえがき
 南アルプス南部の”地域研究”は、その集大成が’66年度冬山合宿で予定されていた”冬季の聖岳北尾根”で、
 アタック用のデポ品を百闢エ山の家へ荷上げも行っていたが、計画が縮小されて北尾根は登られなかった.
 その後、この計画の最大の牽引者だったリーダ−:T村さんの退職もあり、ブランクが続いた.


 
北尾根の計画が中断されてから約13年後(この間、冬季・南アルプス全山縦走というイベントもあったが)新たなメンバ−による
 北尾根への再挑戦が始まった.この地域での春山合宿、偵察を兼ねた夏の赤石沢源流地帯の沢登り合宿、さらに
 秋山合宿と、用意周到な準備を経て11月末には赤石岳と聖岳へのデポ品の荷上げを行い、本番に備えた.
 そして、’80年12月27日〜1月3日の8日間、北尾根の再アタックが行われた.
 ’66年の北尾根へのアプローチは、大沢渡→百間洞沢→裏赤石沢出合→北尾根だったが、新メンバ−による挑戦は
 静岡県側の畑薙ダムから入山し、赤石岳を越えて赤石岳南尾根を下降、裏赤石沢出合→北尾根のルートだった.
 さらに彼等は北尾根登行後、聖岳西面D稜を登る計画だったが、天候悪化で断念し聖平経由で畑薙ダムへ下山した.
 この間、大沢岳には北尾根パーティの安全確保の為、サポート隊がBCを設営して万全を期していた.
    ・北尾根アタック隊  :’80年12月27日〜’81年1月3日 
CL:K田、K原、A住
    ・大沢岳サポ−ト隊 :’80年12月28日〜’81年1月2日 
CL:O野、T樫、M、M井

 ■行動記録

TOP I BACK
12.10.24
  .04.15
山の日記
12月27日(雪)
    7:30 ・畑薙第一ダム   
・ダムまでタクシ−で入山
          (8:30発)    
・林道の積雪:10〜20Cm
   13:00 ・椹島
12月28日(曇→雪)
    6:05 ・椹島       
  ・1800mまでトレースあり.ラッセルは
    8:20 ・欅段         
 輪カンでも2000m附近:腰、小屋
   10:30 ・2000m附近   
  の附近は腰まで.
   14:10 ・赤石小屋     
・積雪の為、小屋には窓から入った.
12月29日(曇→晴/地吹雪)
    6:50 ・赤石小屋      
富士見平までは夏道。ラクダの背と、
   10:30 ・富士見平      
 それ以降はリッジ通し.
   13:30 ・ラクダの背     ・他パーティ3人と交替にラッセルしたが           北尾根・樹林限界からの大パノラマ
          (終了地点)      腰〜胸の積雪で計画通り進まず.       聖→兎→小兎→中盛丸山→大沢→百間平→赤石
   16:20 ・2900m幕営   
 ・2900m附近のリッジを崩し幕営.       
12月30日(晴)
    6:30 ・2900m附近   
・2900m附近の急傾斜(約60°高度差20m)で初めてアイゼンを着ける(古いフィックス
    8:30 ・小赤石岳      
ザイルあり).ザイルは使用せず.
    9:20 ・赤石岳避難小屋  ・
赤石避難小屋の内部は半分雪で埋まっていて、2階にデポしたのは正解だった.
         (デポ品回収)    ・南尾根上部は雪も飛ばされてガラガラだったが、下部の針葉樹林帯は腰以上で難渋した、
   11:00 ・赤石南尾根     
・裏赤石沢の出合附近の川幅は2〜5mで積雪:約1m.岸附近は雪庇状で近づけず、一度、
         
(2550mの頭)   裏赤石沢を出合附近で対岸に渡り、さらに赤石沢本流(川幅約2m)を飛び石伝いに北尾根側
   15:00 ・裏赤石沢出合    
へ渡った.赤石沢本流・右岸の、比較的広い雪の台地上に幕営.
12月31日(晴)
    7:10 ・裏赤石沢出合   
・裏赤石沢出合から北尾根に取り付き、2200m附近で尾根に出た.以降は忠実に尾根を辿る.
    9:20 ・北尾根2200m  
 積雪:針葉樹林帯は腰〜胸のラッセル(2ピッチ).後はほとんど膝〜腿.途中、古い赤布あり.
   14:00 ・2550mの頭   
・2550mまで登らないと良い幕場無し(2550mの頭からの眺めは、抜群だった).
1月1日(晴)
    7:50 ・2550mの頭   
・2550mの頭からアイゼンにて2700mの頭を越え忠実に稜線通し.西側は雪が飛んで岩が
    9:20 ・奥聖岳
/2978m  出ており、ウインドクラストして歩き易かったが、東側(大雪渓側)は雪庇状だった.斜度は余り無く、
         (デポ回収)     
奥聖岳に出る直前でキックステップを使ったのみ.奥聖岳〜聖岳間は雪原でクラストしており
   10:00 ・前聖岳
/3013m  歩きやすかった.奥聖〜聖間の顕著な岩峰の上の方にデポした品は、健在だった.
         ・小聖岳       
・聖岳南面は雪がほとんど飛んで夏道が出ていた.小聖岳の下の樺帯に幕営.
1月2日(吹雪)
    6:00 ・小聖岳       
・低気圧の通過で吹雪いている為、計画していた聖岳西面D稜の登攀を諦め、聖沢へ下降.
    7:00 ・聖平         
夏道通りに下ったがトレース無く、降雪多し.
   13:30 ・林道        
・このルートは枝沢のトラバースが多く、降雪直後は雪崩の危険がある(我々も表層雪崩に遭遇
   15:30 ・中の宿        
したが、幸い巻き込まれずに済んだ).林道途中の小滝の傍に幕営.
1月3日(曇→晴)
    5:40 ・中の宿       
・林道の雪は、入山時より増している様だった.
    8:00 ・畑薙第一ダム   
・降雪の為、例年ならバスが入る筈の畑薙第一ダムまでタクシ−も入らず
   11:00 ・八木尾又      
 凍結した林道を八木尾又まで歩かされた.


   ==
サポート隊/CL:O野の報告から抜粋==

 ■アプローチ
  ・’66年頃に使用していた大沢渡までの軌道は林道化し、車で北又渡まで入れた.
   
  注:’12年現在、この軌道跡の林道は大沢渡方面は崩壊で廃道.しらびそ峠の林道も崩壊で通行止め.
 
  北又渡〜大沢渡間では崖崩れの為、渡渉などがあり苦労した.
  ・積雪は、北又渡で約20cm、唐松峠手前で膝、それ以上は森林限界まで腰.
   大沢岳直下で胸まで.
  ・トップが荷を下ろして空身でラッセルした率は80〜90%に達した.
 ■北尾根のサポート
  ・
トランシ−バ−による交信は、12/31、1/1、下記の間で行われた.
        ・大沢岳分岐 ⇔ 北尾根・中部〜聖岳
        ・兎岳 ⇔ 聖岳
        ・兎岳 ⇔ 小聖岳直下 




<北尾根 核心部>
<サポート隊>
12/28
 甲府〜車で
 北又渡まで.
 大沢渡/泊

12/29
 大沢渡〜唐松
 峠〜幕営.

12/30
 大沢岳にBC
 設営.

    ・
    ・
    ・
1/2
 入山時のルート
 で下山.

   
<北尾根
 アタック隊>
1/2中の宿   12/27畑薙ダムから
1/3畑薙ダムを       入山
    通過して
    八木尾又へ
サポート隊/赤石岳(12/31)
<赤石岳直下からの北尾根>

12/29

   12/28
  ●
    
  ●
12/30

12/31

 1/1
12/27
 ●
12/31〜1/1
12/31
12/31
12/30
奥聖岳
2978m
聖岳
3013m
あとがき
 K田達の北尾根の記録を読んでいると、ン十年前の、雪の舞う裏赤石沢出合や、
 百闢エ沢の情景が、鮮明に蘇えってくる.
 彼らは、あの時より数倍深い雪の中を行ったんだろうね...

 不思議なもので、その瞬間、首から上は若かりし頃の自分に戻ってしまっているが、
 今となっては彼らも同じではないだろうか.
 北尾根は、ただリーダ−を信じてついて行くだけでよかった頃の、恐いものなんか
 何も無かった青春時代の1ページを飾る挑戦だった.

 O野から借りた当時の「部報」は、投稿者の自筆の原稿がそのまま「部報」になっている.
 編集担当にK田の名前も出ているが、活字に出来なかった理由は:予算の都合で...
 しかし、今見てみると、それぞれクセのある、個性の出た味わい深い「部報」でもある.
 
    ==北尾根アタック隊/CL:K田の報告より抜粋==
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