U松と滝谷を登って北穂の縦走路へ出た時、この大雷雨に遭遇した.
雨が降り出し、涸沢のベースへ帰るまでに一雨来そうだったので、
ちょっと雨宿りして行く積りで、南稜との分岐付近にある岩穴へ入った
時から、恐怖の時間が始まった.

北穂で遭った大雷雨

山の日記
(松本深志高校の西穂・独標における大遭難)
あっと言う間もなく、全く突然に土砂降りの雨となり、我々の入っている岩穴状の前の縦走路に、小川が
出現した!.豪雨とともに、これまで遭った事の無い、凄まじい雷鳴と稲光りが走り、目の前の南峰が
黒いガスに包まれて全く見えなくなった.
ひっきりなしに、バリバリという雷鳴がこだまし、奥穂や、涸沢の方に、幾度となく稲妻が走る.
雨が激しくなるにつれ、U松と避難している岩穴には、どこから来るのか、2人、3人と人が寄って来て、
小さな岩穴だから、半身になって雨を避け始めた.一番奥に居る我々でさえ、片足は岩の出っ張り、
片足は土の上で、腰を屈めても、辛うじて頭が岩の下にいるだけの状態.

生憎と、ザックの中は登攀具ばかりで、鉄の塊が一杯入っている.U松にベルトと時計を外す様に言って、
自分の分と合わせてザックの中へ入れ、ザックは穴の奥に押し込む.
こんな凄まじい雷の中を、一人の男が傘をさして通り過ぎて行く.ほとんど雷を気にしていない様.
穴の全員が”早く、何処かへ行ってくれ!”と、そればかり願った.
それでは、避雷針を捧げて歩いている様なもの.
案の定、2、3歩、行き過ぎて「ビリッと来た!!」と、岩の上に傘を投げ出した.
全員、笑おうとしたが、雷が続けさまに周りへ落ちた様で、一瞬、黄色い光が飛び散り、穴の中に身を伏せる.
縦走路は小川を越えて”1級河川”になり、足元から水が穴の中に流れ込み始めた.
ザックを押し込んでいる穴の奥からも、堰を切った様にドロと一緒に水が流れ出し、この穴も、もはや
安全地帯では無くなり始めた.....

実際は、そう長い時間では無かったのかも知れないが、余りの環境の変化に、”今日はここでビバークか”
と、本気でそう思っていた.
雷が少し遠ざかったので、チャンスとばかりに穴を飛び出し、滝のように水の流れる南稜をU松と走った.
二人とも、”早く高度を下げよう−”との思いで一杯だったから.

この大雷雨が、西穂・独標で松本深志高校生徒11名の尊い命を奪ったものである事を知ったのは、
翌日、上高地へ下山してからだった.
梓川の河原には、救助のリコプタ−が、飛び廻っていた.


追記:西穂・独標とはこんな所でした(この遭難から6年後の秋、奥穂から西穂 縦走時)...合掌
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67.8.1