部の地域研究として、南アルプス南部が取上げられ
夏冬通じて、この地域をくまなくトレースしていた.
最終的には、厳冬期”聖岳・北尾根”の初トレースが
目標になっていたが、この年は冬山の新人が多く
(私も、その内の一人)、新人育成という意味合いで
赤石岳周辺での合宿となった.

T.L :T樫さん S.L:T村さん
コーチ:I井/I川の両先輩
新人 :F沢、K木、S島、U松、F井

初めての冬山”赤石岳”

山の日記
冬の赤石岳
■12月29日
八王子から、飯田線天竜峡行きに乗り、終点の天竜峡には午後11時50分着.駅で寝る予定が、バイクで
迎えに来た”喜久文”旅館に泊まる.

■12月30日(曇→雪)平岡〜大沢渡
飯田線で平岡まで行き、バスで梨元に8時30分着.
ここから、20Kmの軌道歩きが始まる.遠山川の水音を聞きながら、平均35Kg以上のザックを背負い、ひた
すら森林鉄道の軌道を歩く.夏は通りかかった軌道車にザックだけ乗せて貰ったが、正月だからお休みの様だ.
軌道の横に付けられたKm表示で、3Km歩くと休憩.大沢渡まで6ピッチと少し.軌道の終点から1ピッチ急登
して、新築の大沢渡山荘に入る.

■12月31日(曇)大沢渡〜百間洞山の家
昨夜の雪は、山荘の外に数センチ積もったのみ.今日は一日掛けて、ここから黄連尾根を登り百間洞山の家
へ入る.朝、6時に出発し、山荘から3時間半で、唐松峠.本格的な雪が現れ、倒木の下をくぐる時は苦労
した.唐松峠から森林限界までは順調に来たが、大沢岳直下の稜線は雪も深くて厳しかった.大沢岳コル
を越えて、百間洞山の家への下りは吹き溜まりになっており、胸までもぐる.山の家に転がり込んだときには、
暗くなっていた.小屋の中にテントを張る.

■1月1日(曇)百間洞山の家〜百間平
今日は1月1日.小屋の中で、気温−18℃.百間平にアタックキャンプを出すため、雑煮の朝食後、出発する.
百間洞沢を腹までもぐってラッセルし、上部をトラバースして、百間平の登り口で輪カンの上にアイゼンを付ける.
晴れていれば、大雪原の百間平であるが今日はガスっていてよく分からない.アタックキャンプを設営.
雪のブロックを切り出し、6人用テントがスッポリ納まる防風壁が出来上がった.隣にトイレも作る.
午後2時半、テントに入ってお茶を飲んでいたら、大沢岳別働隊(I川、T村、S島)のT村さんが、テントの
入口から顔を出した.大沢岳の帰りに寄ったとの事.夕食のブタ汁に舌鼓を打って寝る.

■1月2日(快晴)百間平〜赤石岳〜百間洞山の家
赤岳登頂の日だ.
雲ひとつ無い最高のアタック日.目前に大きな赤石岳が聳えている.完全装備でキャンプを後にする.
遠く、赤石岳の向うには、荒川岳が朝日に輝いている.
赤石の取り付きまでは、広大な百間平のど真ん中を横切って行く.百間平が終ると、左側がすっぽりと
落ちた稜線.聖岳・北尾根がよく見える.風が冷たく、顔の左半面が凍って来るが、アイゼンがよく
効いた.百間平から3時間、避難小屋を過ぎて、待望の赤石岳の頂上に着く.全員で感激の握手!.
360度遮る物の無い頂上からの眺めは素晴らしかった.
頂上には30分居て、下山.百間平のキャンプに戻って、すぐテントを撤収し、百間洞山の家へ戻った.

■1月3日(快晴)百間洞山の家〜北又渡
下山の日だ.7時、お世話になった山の家を出て、百間洞の分岐で別働隊と合流、大沢コルで山に最後の
別れを告げた.往きに苦労した黄連尾根上部は膝までのラッセルだったが下りなのでピッチも上がり、
1時間半で唐松峠着.森林帯を出た所でアイゼンを脱ぎ、大沢渡山荘まで降りて、往きにデポした食料を
回収.軌道に出て、北又渡まで10Kmの軌道歩き.夜10時の天気図は天候悪化を告げていた.

■1月4日(雪)北又渡〜梨元〜平岡〜帰京
山での最終日.北又渡を6時に出て、梨元までの軌道歩き.あと2Kmという所で雪になったが、みんな
全然気にしなかった.梨元からは臨時バスで平岡へ戻り、飯田まで行く.ここから、新宿行きの”赤石号”
が出るので一旦、駅の外へ出て、長い行列に並んだ.
やっと乗れた”赤石号”は超満員で、八王子で下車する時は、全員、窓から降りる始末だった.

この合宿では、冬山の厳しさを味わうと共に、今まで以上に山仲間との結びつきが深まったと思う.
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65.12.29
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